『Steins;Gate』

 1年以上放置してしまいました。その間に、90日以上何も書かないと広告が表示される仕様になっていて、それを消したいという理由もあって、久しぶりに記事をアップしようと思います。
 とはいえ、別の場所に上げた記事の再アップなのですが、まもなくアニメ版も放映されるということで、この機会にゲーム版『Steins;Gate』をプレイした感想をアップしようと思います。アニメ版を見る前に、ゲームをプレイしてほしいという願いも込めて。

Steins;Gate - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/Steins;Gate

 大まかなストーリーに関してはウィキペディアを見るなりググるなりしていただきたい。
 Xbox版の評判を知ってプレイしてみたいと思っていたのだが、Xboxを持っていないので諦めていた。しかし、PCに移植されたので早速プレイしてみたのだが、評判に違わぬ面白さだった。
 キャラ画はクセがあるが、個人的には好き。誰も日本人に見えないという問題はあるが。
 声優が豪華。エロゲだとこうは行かない。
 分岐発生のためのシステムこそ少し変わっているが、それ以外は普通のノベルゲーム。だから、PC版でも特に不都合はないように思う。

 内容は、厨二病+オタクネタ+2ちゃん語+タイムマシン。
 本質は異なるものの、テイストはラノベの『AURA〜魔竜院光牙最後の闘い〜』に似ている。「厨二病」と言われてもピンと来ない人は、このラノベを読めば、いわゆる厨二病中二病)がどういうものか大体分かるだろう。
 同メーカーの『Chaos;HEAd』もそうだったが、2ちゃん語を使用した会話が非常に上手い。2ちゃん語は元々文章のためのもので発音することを考えて作られてはいない。つまり、2ちゃん語で会話するというのは、文語で会話しているようなものなのであるが、にもかかわらず、不自然でなく、いや、バリバリ不自然なのだが、発音するとしたらそうなるだろうなという(ある意味)自然な発音の仕方を声優がしていて、それが会話を読み進めるだけで面白さを感じる理由になっている。
 それは(主に主人公による)厨二病発言も同じなのだが、しかも、ストーリーが進むにしたがって、その厨二病語がそのまま痛切な響きを持つようになる。そして、それが最後には、凄まじく頼もしく思えるようになる。厨二病を恥ずかしく思う自意識の成立(厨二病からの卒業)をもって成長したとする人間観など、あくまで凡人の域での話。「狂気のマッドサイエンティスト鳳凰院凶真」はその域にはいない。そこにシビれる! あこがれるゥ! ――という気持ちになるのである。そして、最後の最後には、厨二病語が温かみに溢れた愛の言葉となる。そんなワケあるはずないと思う人には最後までプレイしていただくほかない。
 無意味な言葉や行動は無意味だからこそ純粋に個人的で、そうであるが故に特別な意味を持ち、特別な絆となる。なぜなら、無意味な言動は、既存の意味とは無関係に成立しているが故に、それらに依存していないからである。
 そして、無意味だと思えた厨二病的な能力「リーディング・シュタイナー」(主人公命名)も、誰もが多かれ少なかれ備えているものであるとされ、それが最終的には世界や運命をも超えた絆となる。
 何らかの社会的な意味(打算)のために行動するというのは、言ってみれば普通のことである。だから、それ以外のもののために(打算抜きで)行動する人間に私たちは(あるいは、ある種の人たちは)感動を覚えるらしい。ジョニー・トー監督の映画などが典型的である。

※以下、ネタバレあり。

 タイムマシーンによるタイムトラベル(およびタイムリープ*1)が中心なので、時間に関する考察もなされ、アリストテレスハイデガーといった名前も出てくるが、軽く触れられる程度で、メインはあくまで物理的・理論的なタイムトラベルの可能性である。
 ただし、虚構のアドバンテージというかずるい点は、タイムマシンを可能にする世界観を採用できるということである。
 タイムトラベル及び過去の改変を可能にする本作の世界観(「神をも冒涜する12番目の理論」)は、緩やかな決定論とでも言うべきものである(作中では「アトラクタフィールド理論」と呼ばれている)。
ドラえもん』の単行本第1巻で、のび太ジャイ子と結婚するのをやめさせて、しずかちゃんと結婚させるために、のび太の子孫であるセワシドラえもんを送り込んできたと聞いたのび太は、もしそうなったらセワシが生まれなくなってしまうのではないかと尋ねると、ドラえもんは、鉄道の喩えを持ち出して、ルートは違っても同じ駅に到着することはできるように、ジャイ子との結婚という過程は変わっても、セワシが生まれるという結果は変わらないから大丈夫と説明する。これは必ずしも納得できる比喩ではないが*2、本作でも似たような時間観を採用している。
 本作で駅に当たるのは重要な出来事である。そこまでの過程は変えられる余地があるが、重要な出来事(結果)は変わらないし、変えられない。世界は何らかの形でつじつまを合わせてしまう(世界は「収束」する)。
 主人公が不本意な現実を変えるために過去へタイムトラベルするが、何度変えようとしても結局同じ結果になるという意味では『バタフライ・エフェクト』や『紫色のクオリア』にも似ている。とはいえ、解決法(?)は異なっており、最終的に本作の主人公がたどり着く方法は、「世界を騙す」という方法である。「観測者効果」により、観測された過去は確定するが、逆に観測されていない過去はまだ確定していない。その、まだ確定されていない過去のみを改変することで結果(現在)を変えるという方法である。
 それによって達成されるのは、本作が採用した世界観そのものの乗り越えである。緩やかな決定論的世界は、誰にも観測されたことのない世界=未来が未知である世界へと再構成される。それは、タイムマシンが存在しない世界でもある。本作は、タイムマシンによって、タイムマシンが存在する世界からタイムマシンが存在しない世界へと移行するというパラドキシカルな事態を描いているとも言える。
「『未来が未知である世界』って、私たちが現に生きている、この世界のことじゃ?」と思った人は正しい。本作のテーマは、タイムマシンが存在せず、それ故未来が未知で、過去は改変不可能な、この世界こそが「理想郷」であるという再帰的現状肯定なのである。

《それはこれまでと変わらない、けど、確かな理想郷》(作中のモノローグより)

 少しでも倫理的であろうとする多世界もの(並行世界・可能世界ものやループもの)は、この再帰的現状肯定を意図して作られていると考えてよい(一部の美少女ゲームがやろうとしてたこともそれである)。例えば、『ひぐらしのなく頃に』がそうである(未プレイだが、『マブラブオルタネイティヴ』もそんな感じらしい)。シニシズムの蔓延した現代においては、単純に現状肯定しただけでは伝わらないことを、並行世界を経ることによって伝えようとする。それは壮大な回り道なのであるが、回り道しないと「今ここ」に立てないほどに複雑な時代となってしまったのだからしょうがない。その回り道こそが物語というものなのだから、現に「今ここ」に立っているのだから、回り道など必要ないと思う人(多世界ものを単なる現実逃避だと切って捨てる人)には、現代=再帰的近代においてなおも物語が必要とされる理由が全然分からないであろう。
 確かに、現実は一つである。だが、人間は、その一つさ(oneness)を理解するために、複数の世界という観念(虚構)を必要とするのである。それは容易には変えることができない人間の条件なのである。

 本作では、マルチエンディングというシステムにストーリーを合致させている。一般に、メディアとコンテンツが一致した作品は、傑出した作品となる。例えば、ゲームだと『この世の果てで恋を唄う少女YU-NO』や『Ever17』。それから、伊集院光氏がラジオで激賛していたSMのテープ*3
 通常のマルチエンディング(あるいは、マルチシナリオ)では、複数のルートがあって、選んだ選択肢などで分岐し、分岐した後では他のルートはなかったことにされる。だから、プレイヤーから見れば主人公はモテモテなのだが、ゲーム世界内では一途な純愛を貫いている誠実な人物である、ということも可能になる。しかし、本作では主人公は、タイムマシンというガジェットとリーディング・シュタイナーという能力により、別ルートの記憶をある程度まで所有したままであり、それを自分自身が意識的・選択的に切り捨て、犠牲にしたという意識をも所有しており、それ故罪悪感や孤独に苦しむ。すなわち、過去を改変するという物語内行為が、ルートを選択するという物語外行為と重ね合わされおり、主人公の視点=プレイヤーの視点となっているのである。それ故、深い没入(感情移入)が可能となる。
 そして、残されていた謎(序盤から張られていた伏線)が、「TRUE END」ルートで次々と解明されていくのは、ありきたりで当たり前のことだとはいえ、やはり快感である。
 最後に本作のテーマを端的に示す文章を引用して終わりにしよう。

“未来がどうなるのかと、あれこれ詮索するのをやめなさい。そして、時間がもたらすものがなんであろうとも、それを贈り物として受け取りなさい”

・補足
 天王寺綯(なえ)が怖い。綯って「萎え」(「萌え」の対義語)という意味じゃないかと思うくらい。ある意味で萌郁と対になる存在だし。
 一応断っておくと、別に完璧なシナリオというわけではなく、突っ込みどころはたくさんある。タイムトラベルにおける矛盾はもちろん、細かいことだと――ある程度のことは「運命石の扉シュタインズ・ゲート)の選択」ということで受け入れるにしても――鈴羽はそんな状況で暮らしてきたにもかかわらず、その手間暇かかりそうな髪型はおかしいだろ、とか、萌郁はそんな経歴であるのにその射撃の腕や反射神経はおかしいだろ、とか、店長親子の設定はご都合主義すぎるだろ、とか、結局1度も失敗しなかったね、とか。

・注意事項:
PC版はプレイする前にアップデートが必須。途中でアップデートするとセーブデータが消えてしまうので。しかし、最新のアップデートファイル(Version1.20)を当てても、それでもバグる。突然プログラムが強制終了されることがあるので、細かなセーブは必須。

・【レビュー】いまさらですが! 『STEINS;GATE』の奇跡的な面白さについて語りたい! | ホビー | マイコミジャーナル
http://journal.mycom.co.jp/articles/2011/02/11/steinsgate/

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*1:タイムトラベルとタイムリープの違いについては『タイム・リープ あしたはきのう』を参照。

*2:あらゆる出来事は過程であると同時に結果でもあるので、何を「結果」と見なすのか、親が変わるというのは大変重要な違いではないのか、といった疑問がすぐに思い浮かぶ。

*3:女王様と下僕のやりとりをただ録音するのではなく、録音そのものが、そのやりとりをテープを聴いている人に向かって聴かせるというプレイの一環になっている。