ポスト・バレンタインデー

 昨日はバレンタインデーだった。
 比較的歴史が浅くて起源がはっきりしている行事であるにもかかわらず、すっかり日本の風物詩になっている。
 チョコレート業界のあからさまな広告販売戦略だと誰もが知っているのに、なぜこれほどバレンタインデーが広まったのかを考えると興味深い。今非難轟々の「ステマ」どころじゃないだろうに。
 バレンタインデー(St. Valentine's day)そのものは外国が起源である。だが、(女性が意中の男性に)チョコレートを贈るというのは日本独自の風習であり、日本型のバレンタインデーの成立に関しては、チョコレート業界の広告販売戦略があったのは確かであろう。具体的にどの会社のキャンペーンが起源となったのかについては諸説あるようだが。
 もちろん、日本型のバレンタインデーが浸透するに当たっては、チョコレートという商品の特性も大きく寄与しただろう。嫌いだという人があまりいない。かさばらない。安っぽくないが、値段はピンからキリまで幅広く揃っている。ある程度保存が効く(冬は特に)。少し手を加えることで手作り風にできる。といった特性は、プレゼントとして贈るのに適している。
 だがこれはあくまで贈り物にチョコがよい理由であって、バレンタインデーに贈り物をせねばならない理由ではない。では、曲がりなりにも日本でバレンタインデーが根付いた理由は何か?
 思うに、それは感情(表現)に形式を与えたからである。
「誰かに何かをあげたい」「この想いをあの人に伝えたい」といった感情を抱くことは誰にでもありうる。しかし、その感情をどう具体的な形にすればよいのかに関しては、しばしば迷いが生まれる。
「でも、誰に?」「でも、何を?」「でも、どうやって?」「でも、いつ?」
 そういった悩みに答え=形式を与えてくれるのがバレンタインデーである。
 不定形の感情に出口を与えるためには、ただ「2月14日に想いを寄せる異性にチョコレートを渡す」という形式に乗っかるだけで良い。近年は、想いを寄せる異性に限らない。お世話になった人とか同性の友達などでも構わない。そんな相手に対して、改めて理由等を用意しなくても、2月14日にチョコレートをあげるだけで相手の方も察してくれ、受け入れてくれる。そんな機会をバレンタインデーは与えてくれる。
 つまり、単にチョコレートを売りたいというチョコレート業界の思惑があっただけだとしたら、これほどまでにバレンタインデーという風習が日本で広まることはなかっただろう。消費者にとっても渡りに船だったからこそ広まったのだと思う。
 同様に感情に形式を与えるが故に人口に膾炙しているものを挙げると、例えば、「ヤバイ」「萌え」といった一部の流行語がある。
 それから、俳句も。
 5・7・5と季語という縛りは、かなりきついように思えるが、縛りがきついからこそ、作りやすい。自己表現しやすい。だから、俳句は廃れない。
 かくして結論。バレンタインデーにチョコを渡すことは、俳句を詠むことに似ている。
 無論、義理チョコが典型だが、形式主義に陥る危険性は常に孕んでいるのだが。