始まりの挨拶

 1年が365日(+閏年)であることには公転周期という必然性があるが、年の始まりが今の時期であることにはそれほど必然性はない。公転運動に特異点はなく、年の変わり目だろうが延々と円運動を続けているだけである。実際、旧暦では年の始まり(旧正月)は少しずれる。単に世界中のほとんどの国でグレゴリウス暦を採用しているから、1年の始まりがこの時期になっているだけである。
 だから例えば、1年の始まりが夏であったって良いはずである。にもかかわらず、旧暦(太陰暦)も含めて、年の始まりが冬であるのは、植物のサイクルや農閑期といった要因によるのだろう。すなわち、象徴的な意味合いと、実際的な意味合いの両方によるのだろう。そして、だとすると、年の始まりが冬季であるのは、北半球の四季を前提にしていると言えるだろう。南半球や四季のない地域では、年初めがこの時期である意味が薄いと思われる。
 何が言いたいのかと言うと、年が明けるのは何も特別なことではない、ということである。だからと言うべきか、年始の特別感が年を追うごとに薄れてきている。年またぎのTV番組も昔に比べるとあっさりとしたもんだし。今年は日曜日ということもあってか、元日から開いている店も多いし。
 年越しは、そもそも自然本性的には特別ではなく、社会的にも次第に特別でなくなってきている。したがって、個人的に特別感を作り出すしかない。僕は昔は新年を迎えた瞬間に時計を合わせるということをしていたが、ここ数年は仕事中のことが多かったのでしていない。

 というわけで、今年はこのブログを始めることで特別感――新年を迎えた感――を得ようと思う。見切り発車というか、この記事を書いたことで目的の大半は達成してしまったので、どれだけ続くかは分からないが。