『アナと雪の女王』

 評価:★★★★
 映画館で字幕版を観賞。平日の朝一番に見に行ったせいか、サービスデーだったにもかかわらず、観客は30人ほどだった。時期は3月下旬。

 まず、断っておかねばならないのは、本作が良くも悪くもミュージカル映画であるということである。本作は最高のミュージカル映画だが、必ずしも最高の映画ではない。
 そして、本作の教訓は「愛の本質は愛されることにではなく、愛することにある」である。

 この作品を初めて知ったのは、他の映画を映画館に観に行った時に流れた予告編によってだった。エルサ(この名前も後で知ったのだが)が、お仕着せを一つずつ脱ぎ捨てていき、髪を振り解き、自由を謳歌し、その喜びを高らかに歌い上げ、使うことを禁じられていた力を思うまま解放して、自分だけの力で自分の城を作り上げる。その時点ではストーリーを全然知らなかったにもかかわらず(これまでの記述には後で知った情報を足してある)、その姿に感動して涙ぐんでしまった。
 1曲まるごと歌い切る、予告編にしては長いものだったので、これは本編には使われていない、予告編のためだけに作られた映像かと思っていたら、本編にもまるまる使われていたので、「これ、さんざん見た」感があった。その意味では『かぐや姫の物語』の予告編に似ている。
 しかも、結構序盤の方で使われ、実際はエルサは全然解放されていなかった。最後のドヤ顔は一体何だったんだ?(笑) ある種悲劇的な場面であるという点も『かぐや姫の物語』と共通している。

※ネタバレあり。
 最後の展開はご都合主義のように見える。アナの魔法が解ける理由は種明かしがあるが、エルサが自分の力を制御できるようになることについては明確な理由が説明されない。だから、まるで「愛」が全てを解決すると言わんばかりの展開のようにも見える(というか、僕自身が最初そう思って、肩透かし感があった)。なぜエルサは「愛」によって自分の力を制御できるようになるのか?
 エルサの魔法とは、心の状態を現実化するものである。だから、エルサが不安や恐怖や怒りや孤独感といったネガティブな感情を抱けば抱くほど、それを反映して周囲を凍りつかせ、ブリザードは激しさを増す。しかし、エルサが愛(妹への愛および妹からの愛)を実感することで、それを反映して暖かさを取り戻す。愛によって感情が安定したので、魔力を制御できるようになったのである。
 本作の原題は“Frozen”だが、凍りついていたのは国土だけでなく、エルサの心もなのである。そういう意味では、トロールがエルサたちの両親を過剰に怖がらせたのが全ての原因であるとも言える(笑)。

 それから、僕自身は問題と思わなかったのだが、ハンスの豹変が唐突すぎるという意見が多くあるという話を聞いて意外に思った。というのも、伏線はいくつか張られているからだ。顔立ちが軽薄そう、というのは別にしても、例えば、エルサがアナとハンスの結婚を言下に却下する場面。クリストフが相手のことを何も知らないのにすぐに結婚まで決心したことを聞いてアナを揶揄する場面。
 この展開は、出会った瞬間に二人は恋に落ちるという、それこそディズニー映画でありがちな「運命の恋」が相対化されているとも言える。
 それに、ハンスが根っからの悪人だとも思わない。彼は計画が上手く行きすぎて、たまたま「ギュゲスの指輪」を手に入れただけなのではないか。彼は、せいぜい小悪党である(そのことが話のスケールを小さくしているとも言えるのだが)。

 僕はそれらのことより、オラフがいい奴過ぎることに少し違和感を覚えた。アナたちに無条件に好意的過ぎる。それどころか、アナを助けるために自分が死ぬのも厭わない(正直、そのシーンには感動したのだが)。同じくエルサの魔法によって作られた氷の巨人マシュマロウが彼女らに敵対的なのと対照的である。エルサの陽の面と陰の面(愛と憎)がそれぞれ具現化された存在なのだと考えることもできるが根拠はない。とはいえ、叶った途端、自分自身が消滅してしまうような夢というのは、夢=欲望の本質を捉えていると思った*1
 ところで、日本の雪だるまは二つの雪玉から成るが、欧米の雪だるまは三つの雪玉から成るのは比較的よく知られた事実だろう。そして、日本の雪だるまの鼻は、炭だったり、みかんだったりすることが多いが、欧米だと人参がデフォルトなのか。
 バカリズム氏が金髪のカツラや付け鼻を付けて外国人に扮するANAのCMに対して「人種差別的」という抗議が寄せられ、CMの放映が中止されるという騒動があった。曰く、白人は鼻が高いのをそれほど喜んでいない、鼻が高いのをコンプレックスに感じる人も多い、など。では、鼻が人参なのは良いのだろうか? オラフの鼻をジャガイモにしろ、とか抗議している人はいないのだろうか?(笑)

 ストーリーに対する不満は多いらしいが、二重のミスディレクションがあって、それが従来のディズニー映画を脱構築するものになっていて、上手いなと思った。一つ目は、先に触れた、ハンスが「真実の愛」の相手ではなかったこと。二つ目は、それはクリストフでもなくエルサだったこと。異性愛(恋愛)ではなく、姉妹愛(家族愛)。今年のグラミー賞受賞作品と掛けるなら、どちらも、“Same Love”ということだ。しかも、それは「からの愛」ではなく「への愛」だったこと。そこには後者こそが、「真実の愛」だという含みもあるのだろう。すなわち、愛されることではなく愛することこそ愛の本質である、というのが本作のテーマの一つであるのだろう。

*1:夏目友人帳 いつかゆきのひに』も参照のこと。