2、ルールは物語か?

 しかし、そうなると疑問が出てくる。araignetさんはルール主義におけるルールを「法」と同一視している。だとすれば、ルールもまた物語なのだろうか?
 というのも、一般的には法律は一定の条文を備え、「主体」へと呼びかける物語的なものであるからである。東浩紀氏の分類に従えば、法は「環境管理型権力」ではなく、「規律訓練型権力」に属するものである。
 ローレンス・レッシグは規制を「法律」「規範」「市場」「アーキテクチャ」の四つに分けた。東氏は、レッシグを参照しつつ、現代社会の秩序を価値観とインフラの分離という二層構造(「ポストモダンの二層構造」)で捉える。前者はコミュニティ/イデオロギーの層であり、後者はインフラ/アーキテクチャの層である。「法律」は前者に属する。
 しかし、ルールがそのようなものだとしたらこれまで(95年以前)と変わらないであろう。ルール主義的作品の新しさ――そんなものがあるとして――を表現できていないという意味で、「ルール主義」という名称はミスリーディングである。なぜなら、ルール主義的作品は、アンチ・ルール的であるから。言い換えれば、アーキテクチャに関わるものだから。だから、よりその特徴を明確にするために、私は「ルール主義」ではなく「コード主義」という名称を提案したい。「行動主義」みたいだし、『コードギアス』とも掛かっているので悪くない名称かなと自負している(笑)。